2016年05月20日

私が好きな秋田の酒

秋田の酒で私が好きなのは天寿と白瀑です。会社名はそれぞれ天寿酒造株式会社と山本合名会社。天寿酒造は県南の由利本荘市矢島町城内字八森下117番地に有り鳥海山麓の蔵元。山本合名の所在は秋田県山本郡八峰町八森字八森269で白神山地麓の海岸寄り。共に小字が八森と言うのは奇遇と言う他有りません。

天寿のHP http://www.tenju.co.jp/

白瀑のHP http://www.shirataki.net/
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2009年05月11日

帰京後小作にて秋田を思う2

ゴールデンウィークの帰秋、二日は半日高速の渋滞でつぶれたため、夕方5時過ぎに実家に着き姉と仏壇の両親に挨拶、直ぐに姉の自転車を借り近所の母方の伯母さんに日頃姉がお世話になっているお礼の菓子折りを届け、一旦帰宅後姉が作ってくれた炊き込み御飯で腹ごしらえをし、「いとく(実家近くの大きいスーパー)」で買出しをして近所の親友宅に出掛け、これまた日頃姉がお世話になっているお礼の菓子折りを届けそのまま居座って飲食に至りました。実家に戻ったのは夜11時でした。普段なら午前様必至なのですが、親友が翌日勤務のため翌々日の再会を約し22時には退散しました。これでも大いに遠慮した方です。

三日は日がな一日だらだらと実家で、気が向くと姉と話しながら過ごしました。この日は夜12時時前には寝たはずです。

四日は朝から小屋の整理をして不要品を家の外に出しました。二十年も使って無かったストープや飯台、本棚やかん他いろいろです。おかげで小屋は大分広くなり、姉も感心してました。もう一、二度不要品を整理すればほぼ終了し、小屋の使い勝手は良くなる筈です。昨年末、親友の助けを借りて裏の銀杏の木を切ったのに続き一仕事した感じになりました。そう言えば銀杏は切り株が残っているので芽吹いている筈ですが今回は見ませんでした。少し気に掛かります。一仕事終え、午後3時には買出しをして親友宅に押しかけました。入りが早かったのでこの日も夜12時には実家に戻りました。
五日は帰京の日です。連日の飲食でさすがに食欲が無く姉に進められても食事もせずに、時折姉と話しながらだらだらとしてました。夕方5時半過ぎにバスで実家を立ちました。高速バスは夜9時半過ぎでしたが、高校以来のもう一人の親友と通町で待ち合わせて会食するためです。彼の最近の行きつけで、こじんまりとした店で高級な料理はありませんが、何を頼んでも美味しかったです。大アサリバター、トロ鯖、茄子の柳川鍋、締めの岩海苔の塩ラーメン…。会食後秋田駅東口まで腹ごなしに歩き、見送ってもらって別れました。

その他と言えば、毎日起きて直ぐに仏壇を欠かさず拝んだことでしょうか…。
墓参りには行きませんでしたが…。

次回お盆に確実に帰秋出来るかどうかは分かりません。
仕事量の回復次第です。
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2009年05月07日

帰京後小作にて秋田を思う

帰京後小作に着いてから感じたのは、秋田が晴れでこちらが雨だったためか、気温は逆にこちらが寒いのですが、秋田の水道の水は手が痺れる位冷たかったことです。こちらの水は温かかったです。
それもその筈、1000m以上の山々はまだ八合目位まで冠雪し、川は雪代で増水していました。
残念ながら行けませんでしたが、木々が芽吹き山菜が顔を出す秋田の山の春はこれからです。渓流魚も解禁になります。そして一気に初夏から夏へ駆け抜けます。
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2008年01月21日

雪うさぎ

 今から四十年ほど前の秋田は、秋田市内でもほとんど毎年豪雪で、1m近く積もっていました。十二月から二月まではほぼ寝雪に閉ざされていました。県境の国道が、しばしば除雪が間に合わずに通行止めになっていたほどです。
 道路の雪が多くなると、轍が深くなり、車のコントロールが出来なくなるため、黄色い回転灯の黄色いグレーダーで歩道側へ寄せて行きます。お陰で歩道はどんどん狭く高くなります。
 この位雪の多い頃のことですから、小さい子供の遊びとしては、雪遊びがメインです。雪合戦、そりやスキー・ミニスキー遊び、かまくらや基地を作ったり、雪うさぎやアニメのキャラクターを作ったりしてました。
 その頃の実家は板張りの古い平屋で、雑な作りの硝子戸の下の板の隙間から、当たり前のように吹雪が吹き込んでいました。
 庭には、曲がった感じが杖のような、枝振りの良い「梅もどき」がありました。どのぐらい枝振りが良かったかというと、近所から譲って欲しいと声を掛けられるほどでした。雪が多くなると赤い実を沢山つけていました。小鳥が来て啄んでいたので、彼等にとっては美味しいものだったに違いありません。
 この梅もどきの赤い実が、雪うさぎの目にはぴったりなのです。ただし、雪うさぎはあまりにも寒いと上手く出来ません。雪に湿り気が無いと固まり辛いのです。そういう点では他の雪で造る遊びも一緒ですが…。
 一晩中降り続いた雪が止んだ日の晴れた午後が、雪うさぎなどを作るのには最適です。適度に雪が湿り、形にしやすく沢山作れます。また、晩に冷え込むと雪が締まり、形が崩れにくくなります。
写真が趣味であった父親が撮ったものは、白黒しか残っていませんが、それでも見ているうちに、雪の白、雪うさぎの目の赤、隣の境の榊の緑、空の青が甦ってきます。  雪が減った今はもう、秋田の子供等にとって、昔話でしかありません。
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2007年09月19日

八郎潟、田沢湖

 八郎潟は、神話の時代から名の残る、埋め立て後もなお秋田第一(多分)の湖です。元は琵琶湖に次ぐ日本第二位の湖面面積を誇る湖でした。私が生まれた頃には埋め立てが完了して、小さくなっていました。しかし、幼稚園位の頃から父の90ccのバイクの後ろに乗って、季節を問わず鮒釣りに連れていってもらっていましたし、蜆や鯉、鰈(汽水域があった)なども取れていたはずで、確か職業漁師さん達も健在だった筈です。今はルアーファンに不法に放流されたブラックバスが増えて在来種が大分減っているようです。
釣った瞬間の快感の為に何も抵抗できない生態系を破壊するのは、婦女暴行にも例えられる卑劣な犯罪以外の何者でもありません。元に戻すのはもう困難ではないかと危惧します。厳しい規制と回復策を関係各所に望みます。
 田沢湖は、日本一深い湖として御存知の方も多いと思います。今はハヤ以外魚は住んでいませんが、昔は国鱒という固有種の魚が生息していました。恐らく岩魚や山女、姫鱒などもいたのではないかと思います。その当時は透明度もこ世界一とうたわれていました。この田沢湖の奥には、やはり御存知の方の多い強酸性の玉川温泉があり、排水が玉川に流れこんでおりました。1940年に下流に鎧畑ダムと発電所が建設された際に、発電所の排水を水路で田沢湖に導いてしまいました。一体何故と問いたくなりますが、後の祭りです。魚類は死に絶え、透明度は下がり、湖面は見事な群青色になって死の湖となってしまいました。私は生まれ育った秋田を愛し、誇りに思っていますが、こればっかりは未だに秋田県民の末代までの誤り、恥として、二度と同じ過ちを犯すことのないよう反省を込めて、記憶し語り継がなくてはならない事実だと思っています。
ブラックバスの件はまだ手の打ちようが有る筈です。
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2007年09月18日

秋田の冬の記憶

 22〜3年前までは、秋田の冬は厳冬でした。十一月に入ると空気が凛と張って冬の匂いがするようになり初氷が張ります。十一月の終わり頃には初雪が降り、十二月の下旬までには根雪になります。一旦根雪になると二月に入って寒気が緩むまで、ほとんど溶けません。それこそ一冬に一度か二度位です。そして溶けても翌日には凍り付きます。根雪になって降る雪がどんどん固まると圧雪になります。ちょっと溶けたりしてまた凍ると表面がカチカチになってアイスバーンになります。すると車道は車の通った跡が掘れて深い轍になります。轍の道路は一旦入ってしまうとレールのようなもので、車は轍の方向にしか進めません。チェーンでもスパイクでも、無理に方向を変えようものなら、たちまち遊園地のコーヒーカップのように回ってしまいます。幹線道路をくるくる回る車や反対向きになった車は、真冬の秋田では珍しくない風景でしたが、不思議と慣れたもので大事故は有りませんでした。私も普通免許は真冬の試験場で取りました。道路は全てアイスバーンでした。踏切はアイスバーンの坂道で、一旦停止してから、サイドブレーキを引き、半クラッチで繋ぎながら、徐々にサイドブレーキを解放して発進します。温暖化の今では考えられませんが良い経験をさせてもらいました。冬型の気圧配置が強まると、北西の季節風が雪が風と共に叩きつけてきます。所謂地吹雪です。一、二月に多かったと思います。日中でも非道くなると辺りが真っ白になり、目に雪が入るので開けていられません。仕方がないので風に背を向けて、地吹雪が一旦止むまで耐えます。吹き付けた雪が固まってズボンが凍り付くことも有りました。でも慣れるとその程度じゃ寒いとは感じません。夜に吹雪くと送電線の風切り音がもの凄く大きく感じられ、一晩中「ビョーーオ、ビョーーオ」と唸りを上げ、まんじりともしません。クリスマスや大晦日の夜には、不思議とぼだ雪(牡丹雪)が風情を醸し出して深々と降ってました。庭の梅もどきの赤い実が雪の白に映えて鮮やかでした。雪椿も冬の彩りです。家は結構すきま風と雪が入り、暖房は練炭火鉢と炬燵で凌いだものです。それらを消して寝ると、布団の外は氷点下5〜10℃にもなります。
こうやって厳しい長い冬を過ごして一挙に春を迎えると、抑えられていた感情が、次々に開花する木蓮、沈丁花、雪柳、梅、桜の花々や草木の芽吹きと共に弾けて、ソワソワとどこかに出掛けないではいられない喜びとしてウキウキと感じられます。父と私は先ず何処の川に行って、雪代の流れの岩魚を、などと相談します。それから山菜取りの計画です。有り難い北国ならではの春の喜びです。
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2007年09月16日

岩見川

 岩見川は、雄物川の支流で秋田市の東南で合流します。市内から見ると太平山の裏、東側の奥に端を発するなかなか奥深い川です。余りにも深いので、探検好きの私も源流を極めたことはありません。父は多分知ってたと思います。川の河口から既に清流であり、北海道の河川に生状が似ていると思います。上流にダムが出来るまで、私は秋田最後の清流であると思ってました。旭川の上流のように、花崗岩の多い川砂の上を、碧をたたえた澄んだ水が流れ、ちょっとやそっとの雨では流れは濁りません。上流部は杉よりも手つかずの広葉樹林、特にやはりブナが多いのです。今もきっと余分な開発の手が入ってないと思います。梅雨時の流れの上にだけ、うっすらと川霧が漂っていた立っていた神秘的な光景が印象にあります。秋の紅葉の彩りも見事でした。木々の赤や黄が川の澄んだ碧と河岸の砂の白に映え、正に錦秋を尽くせりといった感があります。写真撮影も好きだった父は、よく見事なスライドショウにして家族に見せて、自分が経験した感動を伝えてくれました。平野部から山間部に少しはいった確か支流側に殿渕という深い淵のある景勝地が有ります。晴れた日の午後に吊り橋から川を除くと山女や岩魚の群ゆらゆらと泳する姿が見られます。しかし眺めるだけで釣りは御遠慮願います。時間が合れば、週に一度行っても飽きないところです。
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旭川

 市内の最高峰、といっても1100m余りに端を発し、秋田市中心部を流れる川ですが、川反と言う歓楽街の灯りが映える様が県内では有名です。比較的浅く透き通っていて、石垣があるので水面までは3〜4m有るのですが、酔っぱらいが飛び込んでも溺れて死んだという話は聞いたことは有りません。私の父も冬場に酔っぱらって落ちたことが有りますが風邪を引いただけで済みました。中流から最上流にかけて魚影が濃く、小学生の頃から、釣りや水遊びの格好の場所でした。川を上るに従い、鮒、鯉、ハヤ、山女、虹鱒、岩魚と魚種が変わっていきます。小学生の頃は、良く遠足で上流の仁別国民の森に行きました。清流では白州の尾白川が有名ですが、今思えばやはりそれに劣らぬほどだったかと思います。なにせ水遊びをする足下の澄んだ緑を湛えた流れを、岩魚がすり抜けていきましたから。森林博物館もあり、毎回入ってたかと記憶していましたが、今はもう閉館しているのではないかと思います。確か江戸時代の営林活動の展示などが有ったと思います。仁別国民の森自体は、現在は山菜取りか釣り人以外は訪れる人も減り、自然は保たれていると思います。林道が、保全されていると良いのですが…。
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鳥海山

 鳥海山は秋田と山形の県境にある両県の最高峰で、標高2230mあります。昔は山頂争いが絶えず、今は確か山形県側にあった筈です。秋田市から本荘の子吉川を渡り、緩やかな坂を下って西目に入ると、鳥海山の雄姿が視界の大半を占めてくるのです。麓の丘陵地帯と緩やかに頂上に到る鳥海の稜線のコントラストは見事に雄大で牧歌的です。北海道の大雪山系の風景に比しても勝るとも劣らない位だと思います。上からの景色も雄大で、五合目の鉾立からは、深く切り立った奈曽川の大渓谷から海に見下ろされるまるで飛行機から眺めるような大パノラマが展開します。紅葉とのコントラストが素晴らしいので、秋の半ば頃の晴れた日中が、訪れるには良いと思います。
 小学生の頃、鳥海山にはよく父に連れられ秋の茸取りに出掛けました。五合目より上の、ナメコと沢モダシが主な獲物で、他にもブナ張り茸やマス茸など種類は多かったです。東の矢島側にも西の仁賀保側にも入りましたが、入るのは矢島側が多かったと思います。
 ところで、当時茸採りに入っていた辺りではブナ林の大規模な伐採の最中で、樹齢おそらく2〜300年位の樹木がどんどん切り出されて広大な空白地帯が作り出されていました。ブナは材木としては有用ではないですが、その真骨頂は保水力による生態系維持の力に
あります。現在白神山地が世界自然遺産になっているのを考えると、その後杉などが植林されたのでしょうが、営林局ひいては農水省も馬鹿なことをしたものだと思います。秋田市の中心部にあった秋田営林局も私が中学の頃には疾くにありませんでした。農林水産業軽視の、今も続く政策の誤りです。農林水産業軽視は、自らの生命を他国に委ねる未必の故意による売国行為に他なりません。先に書いた男鹿の海が荒れたのは、山が荒れ、川から栄養分が供給されなくなったからです。自民の総裁選祭りに惑わされずに、政権政党を交代させ、失われたものを回復させなければいけません。相変わらずATOKは馬鹿変換が多く、今日のように季節なりじゃない熱風吹きすさぶ世紀末的な昼に、エアコンなしで記事を書いているとやはりあやしゅうこそも狂おしけれの感が強くします。
 推敲している内に、日が傾いてきました。気持ち涼しくなり、風も大分収まって、先刻までバタついていた外の塔婆も静かになりました。同じような気象が二日続きです。どうも尋常な感じがしません。
posted by 碌 at 12:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月15日

男鹿の海

 海釣りや素潜りの主戦場であった秋田唯一の半島が男鹿半島である。父と良く通ってた頃は、北の海にも拘わらず様々のな海藻が生い茂り、イソギンチャクなどの彩りと共に海の中は若布やアラメ、ホンダワラなどの海藻の茶や緑や黄色に、岩に着生した地衣類か何かの赤やピンク他原色に溢れ非常にカラフルであった。紫ウニなどはいちいち潜らなくても、磯の波打ち際の小さな壷(窪み)で幾らでも拾えた。大きなクーラーはたちまち一杯になった。正に豊饒の海であった。
 最後に潜ったのは十五年以上前だが、既に豊かさは無く、磯焼けで白化して海藻も少なく、ウニも栄螺もかなり深く潜らなくては取れずしかも貧相なものだった。今はどうなっているのだろう。
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2007年08月25日

秋田について

 先日、母の見舞いのために秋田に帰省しました。前にも書きましたが、母親は「進行胃癌」で入院し、食事を取れないため、「中心静脈栄養」で体力回復を図り、化学療法で腫瘍の縮小と延命を試みるとのことでした。今は小康を保ち、比較的元気になったので、帰京して仕事に戻れ、こうして記事も書ける訳です。しかし化学療法が始まり、効果が多少でも現れるまでは、本人(告知済)も家族も不安が減りません。
 このような情況の中、入院先の組合病院への往復は大底バスです。病院は見渡す青田と住宅地の境に数年前に移転したもので、車がないととても通い辛いのです。それでも子供の頃は仲間との遊びの行動範囲だったし、実際歩いて三、四十分あるかないかなのです。ある午後の帰りは、たまたまバスがなかったので歩いて帰ることにしました。例年よりかなり気温が高い中、西日に照らされて農道をゆっくり進むと堰の様子が良く見えるのです。清流ではありませんが、澄んだ浅い流れには、田芹や藻を縫って、メダカやドジョウ、小鮒やゲンゴロウまで、子供の頃見馴れた生き物に溢れてました。恐らく昔同様、化学肥料や殺虫剤の使用が少ないのでしょう。日が暮れれば蛍も見れた筈です。歳月が過ぎ、人は老いてやがて世代が変わりますが、自然と、それに折り合った人間の営みは、ある意味脈々と受け継がれて普遍です。「決して荒れてはいないな。」と、懐かしく頼もしく感じ、やはり何時か此処に戻って、余生を季節とともに時を過ごしたいという思いを強くしました。清き水、旨し米と酒、おまけに比類なき温泉の数々…。秋田は田園都市をコンセプトにしていって頂きたいものです。自然と人を惹きつけるに違い有りません。
posted by 碌 at 12:47| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 秋田 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする